バレーボール

2006年3月6日
一昨日、近くの体育館でバレーがやってて見に行ってみた。中学校のときに練習で使ってた体育館。あいにく中学生の女子だったが、とても懐かしかった。あの時、自分たちの横のコートでバレーやってたのはこういう子達だったのか、とか、自分もこの子達のように必死にやってたんだなぁとか。

昨日、別の体育館でもバレーの試合があったようだ。見てないが、小学生のだったんじゃないかな。ついでに、親が中学校のときのバレーの顧問に出会ったらしい。おまけに夢でも中学校の時のバレーの夢を見た。

で、今TVで春高バレーの特番を見ている。弱いチーム、起こるコーチ、ボロ負けの試合、泣くキャプテン、にぎやかな後輩、怒られた後に静まり返った中、搾り出すように発言をするキャプテン・・・これだけバレーの試合とかいろんなことが記憶を思い出させる。

中1の時に入ったのはけっこうなんとなくだった気がする。これならできるかな、身長あるしって感じだろうか。部活も真面目そうだし・・・・けど、この真面目ってのは3年生の引退で終わった。バレー部の2年中心に学校が秋ごろから荒れだした。とりあえずキャプテンが真面目だったため、一応練習はしていたが一応程度だった。

2年になり、顧問が変わった。これによって何もかもが変わった。練習は一気にきつくなった。部活に来る部員は3年がキャプテン1人、2年が6人、1年が10人くらいだったと思う。とにかくきつかった。これは、それまでまともに練習してなかったせいもあった。

そして3年の引退。実質キャプテンの引退。最後の試合、練習にまったくと言っていいほど練習に来なかったほかの3年が出た。ぼろぼろだった。俺は自分が出たかったくらいだ。必死で引っ張ってくれたキャプテンのためにも。しかし、そのまま終わってしまった。

そして新キャプテンに俺が選ばれた。投票で決まったので一応頼られてたのだろうか。とにかく新体制で開始。基礎中の基礎からやり直しだった。

夏休み。来る2年は4人に、1年は7人程度になっていた。毎日必死で練習した。走り回って怒られまくった。なにもかもがやり直しだったんだから仕方ないか。けど、なぜか楽しかった。フライングレシーブで腕ががくがくになって腕が動かなくなったこともしょっちゅうだった。集中してしごかれたら立ってるだけの状態になり、そしたら顔にボールが飛んできたこともあった。声が枯れるなんて日常のことだった。夏合宿では倒れるんじゃないか?って毎日思った。それに、夏休み中はずっと終わった後に筋トレがあった。練習終わった後だったし、けっこうきついのが3セット(指立てふせ、うずくまった人をジャンプで飛ぶ、側筋、背筋、腹筋、肩車スクワットとか)

一番きつかったのはエースの俺と裏エースのトモで2、3時間打ちっぱなしだったことだろうか。練習が終わったーと思ったら特打ちすると言い出した顧問。ずーっと打ちっぱなし。エースとして新人戦に向けて、これからに向けて勝負できるスパイクを打てないといけなかったのだろうか。ふらふらだった。けど、最後の最後には打てるようになった。自分でも驚いたくらいだ。

秋になって新人戦。ボロボロ・・・とまではいかなかった。練習の成果は出ていた。ほかの2つがめちゃめちゃ強かったのだが、それでもだ。1年のときのままだったら間違いなくボロボロだっただろう。

その後にさらに部員は減り、2年が4人(うち1人身体が不調)、1年が5人。こんなチームだからだろうか、上下関係がほとんどなしに楽しくできた。コレに関してはよかったことだと思う。1年でも平気で俺をいじってくる。馬鹿みたいに騒ぐのも一緒。クールに見てるやつも含めてすごくバランスがよかった。

秋と冬。いろいろあった。合宿もしたし、試合もたくさんあった。やはり、俺たちの実力は上がっていて表彰状が3つもらえたくらいだ。バレー部キャプテンとして、朝会で表彰状を取りに行くのがどれだけ誇りに思えたか。

3年の春の総体。やはり1年の差は大きすぎた。ほかの2チームがやはり強い。県大会クラスだった。俺たちも必死で喰らいついたが、届かなかった。最後にフライングレシーブをしてうずくまったまましばらく立てなかった。

今考えるとメンバーの半分が1つ下の学年。Aクイックなんてほとんどなく、その分ほとんどがエースと裏エースが打ちまくった。年下のレシーブ力はひどいものだった。情けないチームだったかもしれない。

けど1番情けなかったのは俺かもしれない。キャプテンなのに1番よく泣いた。調子悪いときは全然だめだった。緊張に弱くてすぐに身体に変化が起こった。レシーブが苦手なのに、エースでキャプテンだし年下に比べると全然ましだったのでリベロがつかなかったし、顧問もつけようとも思わなかっただろう。必死で誤魔化し、その誤魔化すために必死でレシーブした。上手くあげれないなら広くあげてやろうと必死でとんだ。キャプテンナンバー1番、エースナンバー4番のどちらもつけることができなかった(1年のときの顧問がけっこう適当に決めたから。しかもユニフォーム自分で買ったし)。キャプテンのマークも入ってなかった(番号の下の線)。見た目からしてだめだ。声もすぐに枯れるし、弱気な年下のためにも強がっていた。

俺をキャプテンにしてくれたのは周りのみんなだった。部活が楽しかったと言えるのはみんなのおかげだった。過去の記憶の中でもあの日々が鮮明に残っている。

高校でもバレーをやりたかったな。あの中学校のときみたいに。毎日必死で、けど楽しい。あの高校のバレーは俺ではついていけなかった。

だめなのは俺なのか。高校なのか。なんにせよ後悔しかない。それ以上に中学校のときの記憶があるのだが。

もう2度とやりたくないと思ってたバレーがちょっとやりたくなってる。こう思わせてくれるあの中学校の思い出に感謝したい。けどあくまで楽しく。大学行って部活でやる、ってのはまずない。

バレーもやりたいけど、それ以上に頑張ってみたいことがあるから。

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